職業病
職業病…というものがありますね。
職業柄、つい癖になってしまっている、もの、こと。
僕は舞台に立つことを、主に活動の場としています。
その為、声や、身体や、感覚が、一般社会ではそぐわなくなってきているのを、最近、感じます。
もう、普通のアルバイトや仕事は、出来ないのかも知れません。
それは俳優としては悪いことではないのかも知れません。
そして、もう一般生活には戻れない。
アーティストとして、日々を暮らしていかなくてはならない…。
改めて、覚悟を決めた一日でした。
自然の中は、心が安らぎます。
都会に出てきたからこそ、実家の岩手や、三年間住んでいた北海道の、ありがたさを感じます。
“自然に”生きたい!
お宝山
むきだしの自然を体感…。
第十一回お宝登山・長瀞アルプストレイルレースに出場してきました。
ハーフマラソンまでは走りきった事があるので、今回の距離は16㎞。
内心、余裕だと思っていた僕は甘かった…。
平坦なロードを走るレースとは、全然違いますね…!
スタートし、少し走るとまず下り、そしていきなり険しい登り道。舗装も何もされてない、登山道…。
登りきったかと思ったら、スキーの直滑降並の急斜面を下ります。しかも地面が乾いた落葉の絨毯で、滑る滑る…!
で、なんとか下り切ったらまた登り…。
この心臓の揺さぶられ方は、さすがにこたえました…。
途中、完全に登山のペースになる箇所も幾つかありました。
周りの参加者も、みんなでヒイヒイ息を荒げながら登山…
で、ちょっと平坦になったら走る→下りはスピーディーになるけど足の負担は大きい→登山→※繰返し
登り走る。転がり走る。の繰返しな訳です。
怪我人が出ても不思議じゃないレベルです。
だからこそ、反って意識は集中します。
どこに足を着けば良いか、どの向きに体を傾けたら転びにくいか、この平坦な道ならば心配機能は回復できるだろう、…とか。
一瞬一瞬が道との戦いです。
なので、気が緩むという事がなかったです。
…トレイルランって、自然の中を気持ちよく走る、って言う、優雅なイメージがあったのですが、とんでもなかったです。
山との、自然との戦いですね…。
勿論、自然界に戦いを挑んでも勝てるわけがないのですが、
その、自然に挑む、ことで人間の内側から湧いてくるエネルギーがあるのだと思います。
舞台をやっていて良かったと思うことは、腹まで使って呼吸する習慣がついてる事ですね。
周りの参加者よりも、一度に多くの息を取ることが出来、さらにそれがお腹や背中まで到達するのを意識出来るので、有効だと思います。
また、身体の使い方も有効な点です。
途中、200段の登り階段が続くとんでもない箇所があったんです。しかも一段一段が大人の膝の高さ位まであるんです。
僕は腕の力を抜き、振り子の様にして、腕の反動で階段登りを補助していました。
こういう状況に応じた身体反応が出来ることは、舞台をやっていて良かった事だと思います。
山頂までたどり着き、スタート地点に戻って行くのですが、そこから延々と下り坂が続きます。
2㎞位かな…、ずーっと砂利道を下るのです。
膝が笑う…というのは体験した事あるけど、
肘も笑うのですね…、これには初体験。
急斜面を下るときは、膝のクッションだけでなく、肘のクッションも使っているものなのですね。
まさに転がるように道を下りました。
下りの最中、沢山の登山客の方とすれ違いました。
「頑張れー」
「ナイスラン!」
…声がけしてくれるんですよね。道を譲ってくれるんですよね。
本当にありがたい…。笑顔を返す余裕は僕にはなかった…
地獄の下りを何とか終えると、最後の登り…、そしてまた急斜面下り…。
ここら辺になると、もう身体は内も外もガタガタなのが分かります…。
まさに“さいごのちからをふりしぼる”
ゴール…。
完走。
1時間38分。
僕は男性の、45位でした。
今日は何人いたのか分かりませんが、300人くらいだ…、と周りから聞こえて来ました。
その中では、なかなかの順位じゃないかと思います。
むきだしの自然と、がっぷり四つで取り組みました。
久し振りに、大いなるものと戦いました。
戦う、という感覚は、今日得た感覚に近いのかもしれないと感じました。
ゴール後、豚汁が振る舞われました。
ゆっくりと頂きます。
山の空気で冷えていた僕の食道や気管や胃が、じんわりと温まってゆくのを感じました。
ありがとうお宝山。
ありがとう長瀞町。
ヒトが本来持っているはずの感覚を呼び覚ましてくれる、素敵なところです。
教え子達
かつての教え子達がたくさん出演している舞台を観に行きました。
久し振りの再会。
客席にも、懐かしい顔ぶれが何人も…!
嬉しいものです。舞台終演後なので割りと短めに、でも何人もと話しました。
三年前は、先生と生徒、という関係性だったのが、微妙に変化している感覚…。
そう、“微妙に”…。
彼らはもう、独り立ちしている役者なわけで、
僕は今、彼らに対して、どんな言葉遣いをすれば良いのか、ちょっと迷います…(笑)
どんな形であれ、元教え子達が演技に携わる活動を続けているのを知ると、嬉しいものです。
同士として、親近感が湧きます。
一方で、“魔の道へようこそ…”という、同情にも似た気持ちになります。
ごめんね、ようこそ✋
…てな感じですね。
彼らがこの道に進む事を選択した要因の、わずかでも一端を、僕も担っているのですから。
彼らのこれからの活躍を願うと共に、
僕は、
もはや先生ではなく、
演劇界の先輩として、先を走り続けて行きたい…。
そんなことを思いました。
ふと、思い当たる。
自分のやり方(スタイル)だと思っていたものが、
単なる“固さ”だったのかも知れないと思い当たる事があります。
演劇の様に、集団芸術の分野には、固さはあまり有効ではないのかも知れませんね…。
ひとりだけど、
ひとりじゃない。
そんな立ち方で、次の舞台は挑んで見たいです。
次回の出演は2月。
僕にとって、しもきたデビューです…♪
インナーヴィジョン
僕よりも若い世代の俳優さんに、レッスンをしていると、こちらが返って学ばされる事があります。
学ばされる…、と言うか、胸を打たれる瞬間があるのです。
まだ経験が浅く、その分、可能性に溢れた彼らが、課題に真摯に取り組んでいる姿は、感動的です。
僕は今、若すぎず、かといって熟年には程遠く、でも中堅と言うにはまだ早い、ある意味、中途半端な時期です。
たぶん僕は、これから10年がいちばん苦しい時期になるのではないかと思っています。
そんな折、僕よりも下の世代が、損得勘定なく課題に励んでいる姿を見ると、心が震えます。
自分ももっと高みを目指そうという気持ちになるのです。
彼らに悔しさや羨ましさは感じません。いつか、一緒にお芝居出来たらいいなとは思います。
演技の講師をやっていて、いちばんの特は、「観る」機会が増える事でしょうか。
人の演技を、「見る」よりも、「観る」。
それによって、人間の心理や、それに伴った動作・行動を観ることはとても勉強になります。
人は前向きな選択をするときに目線があがるのだ、
とか、
まばたきの多さは非平常の現れなのだ、
とか。
感情は、本来的に、湧いてきたら困るものなのだ、とか。
演技で、感情を湧かせよう湧かせようとして、上手くいかない事はよくあります。
情感、と、感情は、区別して考えられると思います。
感情を無理に湧かせるのではなく、“自然に”湧く為には、
情感がベースに流れている事が大切なのだと思います。
情感がある上で、話していると、心のなかに絵が浮かんできます。
それが、僕の身体の奥底から、何かを突き上げさせてくれるのです。
口で言うのは簡単ですが…、いざやるとなると難しいです。
が、目指す方向性は、そっちだと思います。
…さてさて、若者から感動を貰った事だし、ランニングに行ってこようかな。
集団、そして、群れ
今日は約10㎞歩きました。
一歩一歩、自分の脚で東京の区々を進んで行く中で頭に湧くこと。
集団というものの力について考えます。
集団、は一人一人の人間によって構成されている。
その中にある、微妙な人間関係の絡み、うねりによって、その集団の持つ、特性が、大きく変わってきます。
集団は、たとえ同じ年齢、同じ趣味趣向をもった人達が集まっても、その構成員によって、やはり、大きく違います。
その集団の特性が、そこに属する個人を、跳ね上げてくれることもある。
逆に、跳ねあげないように、押さえ付ける事もある。
前者は良いと思うけど、後者の場合は大変です。
目に見えない、集団の圧力が、僕の自由を殺してしまうのです。
その圧力集団の中に巻き込まれてしまったとき、僕は、どうするのか…。
圧力に従うのか。
圧力をはね除けようと立ち向かうのか。
圧力を受け入れ、前を向くのか。
圧力から逃れるのか。
いずれにしろ、どんな集団にも、必ず、集団の“意志”があるのだと感じます。
それは、時に、
沼底の泥のように、入るものを沈み込ませてしまうものもある。
“アーティスト”と呼ばれる存在は、そんな集団を変え、動かしうるエネルギーを持っている人なのかも知れませんね…。
個人を圧迫する集団を、“群れ”と表すのがしっくり来る気がします。
群れ、は怖いです。
無自覚な群れは、なおさらです。
僕は、人に積極的に話しかけて、集団を動かせる人間ではないと思います。
でも、僕は積極的な課題への取り組み方をすることで、集団に影響を与えることは出来ると思います。
さまざまな、集団、との付き合いは、これからも続いて行きますし、
その時々に、反応して、付き合い方を柔軟にして行こうと思います。