ふと、思い当たる。

自分のやり方(スタイル)だと思っていたものが、
単なる“固さ”だったのかも知れないと思い当たる事があります。

演劇の様に、集団芸術の分野には、固さはあまり有効ではないのかも知れませんね…。

ひとりだけど、
ひとりじゃない。

そんな立ち方で、次の舞台は挑んで見たいです。
次回の出演は2月。
僕にとって、しもきたデビューです…♪

もう、そうするしかない

僕の所属劇団、昴の『ポーランド人形遣い』をやっと観ることが出来ました。


過酷な体験は、それが終わっても当人の中では続いている…。
妄想するしかない、という主人公の悲哀にジンと来ました。


なんだか『父と暮らせば』を彷彿とさせる作品だと思います。




可笑しかったのは、牛山茂さん演じる役が、
役が劇中で何役も演じているのか、
牛山さんが何役も演じているのか、
途中まで曖昧な感じだった所です(笑)
演出の村田さんの狙いなのかな…。


11月26日(日)まで、東武東上線が最寄りの、Pit昴で上演しています。

インナーヴィジョン

僕よりも若い世代の俳優さんに、レッスンをしていると、こちらが返って学ばされる事があります。
学ばされる…、と言うか、胸を打たれる瞬間があるのです。

まだ経験が浅く、その分、可能性に溢れた彼らが、課題に真摯に取り組んでいる姿は、感動的です。

僕は今、若すぎず、かといって熟年には程遠く、でも中堅と言うにはまだ早い、ある意味、中途半端な時期です。
たぶん僕は、これから10年がいちばん苦しい時期になるのではないかと思っています。

そんな折、僕よりも下の世代が、損得勘定なく課題に励んでいる姿を見ると、心が震えます。
自分ももっと高みを目指そうという気持ちになるのです。
彼らに悔しさや羨ましさは感じません。いつか、一緒にお芝居出来たらいいなとは思います。


演技の講師をやっていて、いちばんの特は、「観る」機会が増える事でしょうか。
人の演技を、「見る」よりも、「観る」。
それによって、人間の心理や、それに伴った動作・行動を観ることはとても勉強になります。
人は前向きな選択をするときに目線があがるのだ、
とか、
まばたきの多さは非平常の現れなのだ、
とか。


感情は、本来的に、湧いてきたら困るものなのだ、とか。
演技で、感情を湧かせよう湧かせようとして、上手くいかない事はよくあります。
情感、と、感情は、区別して考えられると思います。
感情を無理に湧かせるのではなく、“自然に”湧く為には、
情感がベースに流れている事が大切なのだと思います。
情感がある上で、話していると、心のなかに絵が浮かんできます。
それが、僕の身体の奥底から、何かを突き上げさせてくれるのです。


口で言うのは簡単ですが…、いざやるとなると難しいです。
が、目指す方向性は、そっちだと思います。





…さてさて、若者から感動を貰った事だし、ランニングに行ってこようかな。

集団、そして、群れ

今日は約10㎞歩きました。


一歩一歩、自分の脚で東京の区々を進んで行く中で頭に湧くこと。
集団というものの力について考えます。



集団、は一人一人の人間によって構成されている。
その中にある、微妙な人間関係の絡み、うねりによって、その集団の持つ、特性が、大きく変わってきます。

集団は、たとえ同じ年齢、同じ趣味趣向をもった人達が集まっても、その構成員によって、やはり、大きく違います。

その集団の特性が、そこに属する個人を、跳ね上げてくれることもある。
逆に、跳ねあげないように、押さえ付ける事もある。
前者は良いと思うけど、後者の場合は大変です。
目に見えない、集団の圧力が、僕の自由を殺してしまうのです。

その圧力集団の中に巻き込まれてしまったとき、僕は、どうするのか…。
圧力に従うのか。
圧力をはね除けようと立ち向かうのか。
圧力を受け入れ、前を向くのか。
圧力から逃れるのか。


いずれにしろ、どんな集団にも、必ず、集団の“意志”があるのだと感じます。
それは、時に、
沼底の泥のように、入るものを沈み込ませてしまうものもある。
“アーティスト”と呼ばれる存在は、そんな集団を変え、動かしうるエネルギーを持っている人なのかも知れませんね…。


個人を圧迫する集団を、“群れ”と表すのがしっくり来る気がします。
群れ、は怖いです。
無自覚な群れは、なおさらです。




僕は、人に積極的に話しかけて、集団を動かせる人間ではないと思います。
でも、僕は積極的な課題への取り組み方をすることで、集団に影響を与えることは出来ると思います。

さまざまな、集団、との付き合いは、これからも続いて行きますし、
その時々に、反応して、付き合い方を柔軟にして行こうと思います。

引き継がれてきたもの

ブロードウェイミュージカル『Allegiance』を観てきました。

お台場の映画館での上映会です。

いやはや…、
見終わった後には、
「いやぁ~、よかったぁぁぁ…」
としか言えませんでした。
感動を言葉で上手く表現することが出来ず、
“よかった”しか口から出てこないのです。
そして、それで構わないのだとも思います。

太平洋戦争中、米国に拘束された、日系人の方々の物語です。
米国に住んでいながら、敵国の出身だという事で、家や、畑や、財産や、そして自由までも奪われてしまった日系人の人達…。
僕は恥ずかしながら、そういう立場にいた方々の事をほとんど知らなかったです。
米国に忠誠を誓うと訴えながらも、見た目等でそれを認めて貰えない人達。
その葛藤や、それによって生じる軋轢が、見事に舞台の上で表されていて、僕は胸をうたれました。


歌の力、は本当に凄いとあらためて感じました。
人間の情感を、いちばん強い形で訴える事が出来るのは、歌かも知れないとすら思いました。

僕のお祖父ちゃんやお祖母ちゃん、そのお父さんやお母さんは、国同士の戦争に巻き込まれ、何とかその中で、生活し、生き抜き、子どもを宿したのだなぁと思いました。
そして今の僕にまで、命が引き続いているのだと想像しました。
戦争の渦中、女性のお腹に宿った新しい生命は、実に尊く感じる存在ですね。


多くの現代人に観て欲しい作品です。
そして、出来ればいつか、僕は、なまで観ることが出来たらなと思います。


f:id:keisukemachiya:20171113191419j:plain

再開

個人ブログを中断して、二ヶ月程経ちました。
中断の理由としては、ふと、止めてみたくなったからです。
なんだか、世の中に対して自分が何かを発信する事に、窮屈さを感じていたのもあります。
段々と、書けなくなっていきました。
書く気持ちが、薄らいでいました。


今回、装いも新たに、個人ブログを再開します。
中断しているうちに、気がついたこともあります。

書く場が失われると、書きたい欲求が沸いてきます。
書く場があることで、世の中に対してアンテナを張りやすくなる利点もあります。
そして、自分が日々感じたことを、文章を組み立てて他者に伝えると言うことで、言葉を扱う練習にもなるようです。

…そういったことに気付き、ブログをまた始めようと思います。


一方で、「ブログ、辞めちゃったんですか…」という、声がけをして下さった方々がいた事も、再開の理由です。
いやむしろ、そのお声がけを頂いたからこそ、僕の気持ちが動いたのです。
再開の引き金でした。
やはり人の心を動かすのは、人の言葉なのだと思います。

スタンスは以前と変わりません。
細く、長く、続けて行こうと思います。
自分の見たこと、感じたことを、素直に、迎合せず、発信できたらなと思います。

どんなブログになって行くのか。
一年後の今日、自分は何を感じ、どんな状況に身を置いているのか。
今から楽しみであります。

どうぞ宜しくお願い致します。

町屋圭祐